
『水戸黄門』の撮影現場にて
Part.2
で、新しい殺陣への挑戦については周りの反対もあった、
というお話をうかがいました。映画の話から少しそれるかもしれませんが、
いろいろ反対もありながら、殺陣師として挑戦してきたモチベーションは、
菅原さんの場合、どこからきているのかな、と。
それはね、なんていうのかな、「もう開き直ってでもやるしかなかった」
という感じなんですよ。
ちょっと話がそれますけどね、
僕、今でこそあつかましい人間だけど(笑)、
どの作品であっても、クランクイン前になると、
自分が立ち回りのシーンを作るという責任の重さで、
緊張して眠れないというのはよくあるんです。
もちろんそんな気持ちは人前では絶対見せないですよ。
見せないけど、立ち回りというのは、
人が人を殺めるというのは、やはり究極のドラマでしょう。
男女や親子が愛し合ったり憎み合ったりするのももちろんドラマだけど、
人が人を殺めるというのは、それ以上にものすごいことだと思うんですね。
だから、そんなシーンの責任を負う殺陣師というのは、
プレッシャーなんて言葉だと軽い気がするくらい、
本来は厳しくあるべきだと思うんです。
で、質問に回答すると、
僕はなぜ殺陣師を続けられたか。それは、はなから、
「こんな厳しい世界で、
僕みたいな新潟の田舎者が通用するわけがないんだ」
と思っていたということなんです。
チョイ役をもらった程度の役者なら、続けられるかもしれない。
でも、殺陣師となると、そのシーンのすべてに責任を持たないといけない。
「そんなの俺にできるわけがない」とずっとずっと思っていた。だから、
「精一杯やってもあかんかったら、故郷の新潟に帰って百姓をしよう」
「その代わり、『あかん、やめや!』と言われるまでは、
自分が思うものを精一杯突き通す」
と、ずっと自分に言い続けてきたんです。
そうすることで、全力で立ち向かってきたんですね。
逃げるわけにはいかないじゃないですか。
たぶん、錦之介さんやひばりさん、両御大といった
昔のスターたちの厳しさを、僕は間近で見てきたというのは大きいです。
僕が殺陣師になることを決めたとき、
錦之介さんは、「菅チン、これからは、台本は100回読みなさい」と言った。
「100回読むと、セリフが言葉になるんだよ」と。
奥の深い言葉です。100回なんて、とても読めたものじゃない。
せいぜい4、5回です。テレビだったら、5回さえ読む暇がない。
でも、錦之介さんはやっていたんだと思うんです、きっと。
昔のスターさんたちから思うのは、
立ち回りのとき、美しさや怖さがにじみ出てくる役者というのは、
単に動きがきれいだとかいうだけじゃ、ないんですね。
僕は、「刀を抜くまでが大事だ」とよく言うんですけど、
それは、「刀を抜く前にサムライになりなさい」ということなんです。
だって、サムライはいつも刀を振り回していたわけじゃないでしょう。
刀を抜くのは、抜かざるをえなくなって抜く、究極の場面のはずなんです。
そんな場面だからこそ、迫力が必要だし、
それまでにサムライになりきっていないと、迫力なんて出せないですよ。

俳優会館の4階にある道場には、
里見浩太朗さんが寄せた「不断ノ努力 継続ハ功ナリ」の額が掛けられている。
俳優さんたちには、どんなふうに指導されるのですか?
刀を持って歩くところから指導します。
でもね、やっぱり、今の製作現場には時間がありません。
昔はクランクイン前に最低1ヶ月は練習ができていたけど、
テレビの現場では2、3日しかない。
だから、本当の意味で指導ができません。
僕自身も、そんな現場に慣れっこになってしまって、
立ち回りの本来の厳しさを忘れかけているんじゃないかと
反省する気持ちはいつもあるんです。
42年続いていた『水戸黄門』が、2011年12月に幕を下ろしました。
菅原さんは、シリーズの最初から関わっていらっしゃるんですよね。
はい。40年以上。スタッフの中では僕が一番多いんです。
水戸黄門の殺陣も、ケレン味のある殺陣ですよね。
野村将希さん演じる飛猿が、畳をぶち破ったり、
そう、人を持ち上げてぐるぐる回したり、壁をぶち破ったりね。
ありえないよね(笑)。
だから、第42部でシリーズが終わることになって、
自分がやってきたことは本当にそれでよかったのか、
時代劇を壊したんじゃないか、と感じることはあります。
偉大なる先輩たちを直に見てきた僕には、
もっとできることがあったのじゃないかと。
だって、『水戸黄門』の終了で、
民放の時代劇はすべてなくなってしまったんだから。
天国に行ったとき、ひばりさんや深作さん、錦之介さんに、
どう説明したらいいんや、と、最近よく考えるんですよ。
実は昔、『影の軍団』を観た錦之介さんからも、
「菅チン、発想はいいんだけどな、それを主流にしたらダメだよ」
と言われたことがあるんです。
でも、素人ながら、菅原さんが新しいことに挑戦していなかったら、
もっと早くに時代劇がなくなっていたのかもしれない、
という気がしています。
菅原さんの殺陣から学ぼうとする人も、
たくさんいらっしゃったのではないでしょうか?
うーん、まあ、僕から学ぼうとしているかどうかはわからないけど、
東映京都に来たら時代劇を学ぼうという姿勢の役者はいるんです。
最近では、『水戸黄門』でレギュラーをしていた
ナイちゃん(内藤剛志さん)とかね。
ナイちゃんは時代劇が好きで、
ラスタチの撮影が終わったあとでも、剣会のカラミの連中に、
「さっきのちょっと復習させてください」と言って、
セットの外に出て練習していました。
ものすごい勉強家。だからあっという間にうまくなりました。
脇役でも、主役を邪魔しないで存在感のある芝居をするでしょ。
(北大路)欣也さんなんか、
小さい頃からここで育って大物俳優になられたのに、
「東映京都に来ると未だに緊張する」とおっしゃる。
「ここにいる人たちは全員がプロ。
いつなんどき、誰に何を言われるかわからない」
と。スター気取りは全然ない方ですね。
その謙虚さには本当に頭が下がります。
そういえば、菅原さんは、香取慎吾さん主演の阪本組
「座頭市 THE LAST」(08年)も担当されましたよね。
そのときの香取さんを、菅原さんは絶賛されていたそうですね。
