第十七番札所 蓮華王院 |
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↑参拝入口 |
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久しぶりの巡礼です。
8月21日、午前8時。
朝早く着いた蓮華王院、通称、三十三間堂には、
まだ人の姿がない。
…と、思いきや、靴を脱いで中に入ると、
数名いらっしゃいました。
お堂の中へ。
薄暗い堂内を埋め尽くす、1001体の千手観音立像。
いつ見ても荘厳で、立ち尽くしてしまいます。
→お堂の中のようす
三十三間堂は1164年、平清盛が後白河法皇のために、
院政庁である「法住寺殿」の一角に建立したもの。
後白河上皇は、生涯に何度も紀州熊野に詣でるほど、
神仏に深く帰依された方として知られ、
また、この洛陽三十三所観音霊場を定めた方でもあります。
このお堂ができたことを、
上皇はさぞお喜びになったことでしょう。
1001体の観音さまの中には、
会いたい人の面影に似た観音像が、
必ず一体はまつられているのだそうです。
御朱印は、お堂の中央にまつられる
中尊のそばで受けることができました。
この厳かな堂内でいただくと、
なんだかとても貴重な体験をしているような気がします。
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第二十五番札所 法音院 |
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次の法音院までは東大路通りを南下。
ちょうど「今熊野商店街」という商店街を歩くのですが、
どこもまだ開店前で、残念。
…と思っていると、道路の向こう側に巨大なクスノキが!
これは行ってみなければ!
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それは新熊野(いまくまの)神社のクスノキで、
神々しくおまつりされていました。
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新熊野神社は、先ほどご紹介した後白河上皇が、
院政庁「法住寺殿」の鎮守社として、
紀州の熊野になぞらえて創建した社。
このクスノキは、そのときに熊野から移植したと伝わり、
樹齢はなんと、約900年!
それにしても、
後白河上皇の神仏尊崇がいかに厚かったか、
今回の巡礼は、それを知る旅になりそうです。
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↑おまけ
法住寺殿の中心だった「法住寺」。三十三間堂の東側にあります。
上皇を極楽浄土に導くため、三十三間堂の仏像は
全て法住寺に向いているのだそう。 |
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さてさて、「泉涌寺道」交差点を東へ折れ、
泉涌寺へ続く参道途中に、
第二十五番札所、法音院はありました。
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小さな寺院ですが、
境内はよく整備されていて、静けさが心地よい。
本堂の扉には観音さまの解説がありました。
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“本尊 不空羂索観音「ふくうけんじゃくかんのん」。
サンスクリットでは「必ず獲物を捕らえる縄」という意味の
アモーガパーシャ。
アモーガは「空しくない(不空)」の意。
パーシャは古代インドで狩猟に使った投げ縄のことで、
漢訳では羂(わな)の索(つな)と解して羂索と表記された。
すぐれたパーシャが必ず鳥や獲物を捕らえるように、
人々をあまさず救う菩薩の羂索“。
ゆえに不空羂索観音は、
左腕に羂索(投げ縄)を垂らしているのが特徴だそう。
その縄で、あまねく人々を捕らえ、救ってくれるのですね。
格子戸の外から合掌。
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御朱印は先代のご住職が書いてくださいました。
「これから泉涌寺のほうへ行かれるの?
いくつか霊場がありますが、場所はわかりますか?」。
と、ご親切に教えてくださいました。
ほんとうにありがとうございます。
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第十九番 今熊野観音寺 |
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のんびり見学していたせいか太陽が高くなって、暑い。
京都では五山の送り火が過ぎると秋風が吹くと言われていますが、
この日はいまだ厳しい暑さで、
「どうしてこんな日にお参りしているのだろう」
と、少し弱気になってきました。
道を挟む深い緑に救われるように今熊野さんへ。
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今熊野観音寺は平安初期、
嵯峨天皇の勅願で弘法大師が開いたお寺。
本尊は、大師が熊野権現より授かった観音像を胎内仏として
自ら彫ったとされる十一面観音像です。
熊野といえば、先ほどの後白河上皇。
上皇はこの寺院を深く信仰し、
熊野三山のひとつ、那智山になぞらえて
「新那智山」と号したそうです。
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写真は「鳥居橋」と呼ばれる朱色の橋。
もみじの緑との対比が鮮やかで、これを過ぎると
子どもに慕われる弘法大師の大きな像が迎えてくれました。
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暑いので、とにかく本堂の中に入ってホッとしたい…と、
急ぎ本堂へ。
中に入ると装飾が非常に豪華でびっくり!
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「2008年、西国三十三カ所の中興の祖といわれる
花山法皇の一千年御遠忌を記念してご開帳したのですが、
それを機に、装飾をきれいに修復したんです」。
そう教えてくださったのは、お寺に勤める井上栄次さん。
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「今日は洛陽の霊場巡礼で参らせてもらいました」
と伝えると、
「それはめでたいことですね。
観音霊場めぐりは、非常に豊かなお参りですからね」
と、井上さん。
豊かなお参り??
「洛陽(観音めぐり)のもとになっている西国三十三所観音巡礼は、
奈良時代、閻魔(えんま)さまが徳道(とくどう)上人に
三十三の宝印を託したことから始まった。
つまり、閻魔さまのご誓願で始まったわけですから、
満願者が冥土へ行ったときに閻魔さまに御朱印を見せれば、
無条件に極楽へ行けるわけです。
おまけに現世ではご利益を得られるわけですから、
非常に豊かなお参りでしょう?」。
なるほど、そうなんだ。すごい、観音巡礼!
だから千年の時を経てもお参りが絶えないんですね。
そう考えると、ますます御朱印の意味合いは重要ですね。
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帰り道は、もみじが連なる参道を通って、再び鳥居橋へ。
参詣者の往来がいつも絶えないという鳥居橋。
これまでにいったいどれだけの人が
この橋を渡ったのでしょうか。
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