京都嵐山クラブへ
洛陽33 ココロ ツナグ 33
第四話 廬山寺、護浄院、そして再び…

第十七番札所 蓮華王院

 

↑参拝入口

 

 

久しぶりの巡礼です。
8月21日、午前8時。
朝早く着いた蓮華王院、通称、三十三間堂には、
まだ人の姿がない。

 

…と、思いきや、靴を脱いで中に入ると、
数名いらっしゃいました。

 

お堂の中へ。

 

薄暗い堂内を埋め尽くす、1001体の千手観音立像。
いつ見ても荘厳で、立ち尽くしてしまいます。

 


→お堂の中のようす 

 


三十三間堂は1164年、平清盛が後白河法皇のために、
院政庁である「法住寺殿」の一角に建立したもの。

 

後白河上皇は、生涯に何度も紀州熊野に詣でるほど、
神仏に深く帰依された方として知られ、
また、この洛陽三十三所観音霊場を定めた方でもあります。
このお堂ができたことを、
上皇はさぞお喜びになったことでしょう。

 


1001体の観音さまの中には、
会いたい人の面影に似た観音像が、
必ず一体はまつられているのだそうです

 

御朱印は、お堂の中央にまつられる
中尊のそばで受けることができました。
この厳かな堂内でいただくと、
なんだかとても貴重な体験をしているような気がします。

 

 

第二十五番札所 法音院

 

 

 

次の法音院までは東大路通りを南下。
ちょうど「今熊野商店街」という商店街を歩くのですが、
どこもまだ開店前で、残念。


…と思っていると、道路の向こう側に巨大なクスノキが!
これは行ってみなければ!

 

 

 

それは新熊野(いまくまの)神社のクスノキで、
神々しくおまつりされていました。

 

 

 

新熊野神社は、先ほどご紹介した後白河上皇が、
院政庁「法住寺殿」の鎮守社として、
紀州の熊野になぞらえて創建した社。
このクスノキは、そのときに熊野から移植したと伝わり、
樹齢はなんと、約900年

 

それにしても、
後白河上皇の神仏尊崇がいかに厚かったか、
今回の巡礼は、それを知る旅になりそうです。

 

↑おまけ
法住寺殿の中心だった「法住寺」。三十三間堂の東側にあります。
上皇を極楽浄土に導くため、三十三間堂の仏像は
全て法住寺に向いているのだそう。

 

 

さてさて、「泉涌寺道」交差点を東へ折れ、
泉涌寺へ続く参道途中に、
第二十五番札所、法音院はありました。

 

 

 

小さな寺院ですが、
境内はよく整備されていて、静けさが心地よい。

本堂の扉には観音さまの解説がありました。

 

 

 

“本尊 不空羂索観音「ふくうけんじゃくかんのん」。
サンスクリットでは「必ず獲物を捕らえる縄」という意味の
アモーガパーシャ。
アモーガは「空しくない(不空)」の意。
パーシャは古代インドで狩猟に使った投げ縄のことで、
漢訳では羂(わな)の索(つな)と解して羂索と表記された。

すぐれたパーシャが必ず鳥や獲物を捕らえるように、
人々をあまさず救う菩薩の羂索“。

 

ゆえに不空羂索観音は、
左腕に羂索(投げ縄)を垂らしているのが特徴だそう。
その縄で、あまねく人々を捕らえ、救ってくれるのですね。

 

格子戸の外から合掌。

 

 

 

御朱印は先代のご住職が書いてくださいました。

 

「これから泉涌寺のほうへ行かれるの?
いくつか霊場がありますが、場所はわかりますか?」。

 

と、ご親切に教えてくださいました。
ほんとうにありがとうございます。

 

 

第十九番 今熊野観音寺

 
 

 

のんびり見学していたせいか太陽が高くなって、暑い。
京都では五山の送り火が過ぎると秋風が吹くと言われていますが、
この日はいまだ厳しい暑さで、
「どうしてこんな日にお参りしているのだろう」
と、少し弱気になってきました。
道を挟む深い緑に救われるように今熊野さんへ。

 

 

 

今熊野観音寺は平安初期、
嵯峨天皇の勅願で弘法大師が開いたお寺。
本尊は、大師が熊野権現より授かった観音像を胎内仏として
自ら彫ったとされる十一面観音像です。

 

熊野といえば、先ほどの後白河上皇。
上皇はこの寺院を深く信仰し、
熊野三山のひとつ、那智山になぞらえて
「新那智山」と号したそうです。

 

 

 

写真は「鳥居橋」と呼ばれる朱色の橋。
もみじの緑との対比が鮮やかで、これを過ぎると
子どもに慕われる弘法大師の大きな像が迎えてくれました。

 

 

 

暑いので、とにかく本堂の中に入ってホッとしたい…と、
急ぎ本堂へ。
中に入ると装飾が非常に豪華でびっくり!

 

 

 

「2008年、西国三十三カ所の中興の祖といわれる
花山法皇の一千年御遠忌を記念してご開帳したのですが、
それを機に、装飾をきれいに修復したんです」。

そう教えてくださったのは、お寺に勤める井上栄次さん。

 

 

 

「今日は洛陽の霊場巡礼で参らせてもらいました」
と伝えると、

 

「それはめでたいことですね。
観音霊場めぐりは、非常に豊かなお参りですからね」
と、井上さん。

 

豊かなお参り??

 

「洛陽(観音めぐり)のもとになっている西国三十三所観音巡礼は、
奈良時代、閻魔(えんま)さまが徳道(とくどう)上人に
三十三の宝印を託したことから始まった。
つまり、閻魔さまのご誓願で始まったわけですから、
満願者が冥土へ行ったときに閻魔さまに御朱印を見せれば、


無条件に極楽へ行けるわけです。

おまけに現世ではご利益を得られるわけですから、

非常に豊かなお参りでしょう?」。

 

なるほど、そうなんだ。すごい、観音巡礼!
だから千年の時を経てもお参りが絶えないんですね。
そう考えると、ますます御朱印の意味合いは重要ですね。

 

 

 

帰り道は、もみじが連なる参道を通って、再び鳥居橋へ。
参詣者の往来がいつも絶えないという鳥居橋。
これまでにいったいどれだけの人が
この橋を渡ったのでしょうか。