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ONO!河村純子の眠らないお能の世界
ONO!河村純子の眠らないお能の世界
河村純子プロフィール

その9 昔も今も 人々を魅了する世界

(最終回)

ぼく

“お能は苦手”から脱出すべく、

いろんなお話をうかがってきたこのシリーズもいよいよ最終回!

 

今回は能楽師の方について、また河村さんが主催する

「能楽おもしろ講座」についても聞かせてください。


河村純子さん

能楽師の家に生まれた子どもの多くは、やはり跡継ぎとして、

しゃべれるようになる頃からお稽古を始めはりますね。

だいたい仕舞から。

うちの子(河村浩太郎氏)は2歳10ケ月からお稽古を始め、

初舞台は3歳直前でしたね。


ぼく

まさに“物心つく”と始まるんだ。

 

河村純子さん

最初に覚えるのは「座る(正座)」ことと、

手をついて「ご挨拶」をすることから。

そして師匠や先輩方へ「お願いします」、

「ありがとうございました」と

どなたに会っても「お先ぃでございます」、

「お先ぃでございました」の

この4つの挨拶から教えられます。


ぼく

ちっちゃな子が手をついて挨拶する姿はけなげですね。
父と子の関係でも挨拶はするんですか。


河村純子さん

親子であっても師匠と弟子です。
でもやっぱり子どもですから、長時間のお稽古は大変です。
師匠のほうでも、あまり子どもらしさを消すような稽古やなくて、
舞台を大きくまわりなさいとか、大きな声を出して、
手や足の動きに小さくならんように、などを指摘されますね。

 

うちの主人(故 河村信重氏・観世流シテ方 重要無形文化財保持者)も 案外、しっかりしすぎている子より、

“いとけなさ(稚さ)”が出てるほうがええとよう言うてました。


ぼく

「船弁慶」の義経は子どもが演じるとおっしゃってましたね。
やはり子どもの頃から場数を踏んで、大人の役へと移るのですか?

 

 
河村純子さん

そうですねえ。面をつけるのは中学生頃からでしょうか。
やはり能楽師を目指してお稽古を続けるなら、
京都では片山家や林家など「職分家」といわれる先生のところで書生として修業させていただき、

先生からお許しがあって初めてプロとして独立することができます。

 

※お能の各流派の最高指導者は宗家と呼ばれ家元に相当する。宗家以外にも江戸期に各地の大名家に仕えて能楽の技術指導を行ってきた由緒ある家柄が存在し、こうした家を職分家と呼ぶ。京都では片山家、林家などがそれにあたる。


ぼく

書生って明治時代みたいですが、今でもあるんですね。


河村純子さん

書生には“住み込み”と“通い”があって、

うちの息子は今、住み込みの書生です。

京都で今、住み込みの書生は息子1人なんです。


ぼく

書生ってどんなことをするんですか?

 

河村純子さん

まずは先生の身の回りのお世話や、日常生活の雑用など。
例えば舞台前の楽屋で、能装束の後ろでの着付けの

お手伝いも書生です。
最初は衣装も触らせてもらえませんが、

先生や先輩が次は何を必要とされるか、
いつも先のことを考えてんとあきません。
「あ、もうじき針と糸がいるな」と悟ったら用意していつでも渡せるようにしたり。

とにかくいつも先、先を読むことが仕事の一つです。

 

ぼく

現代人に欠けてきている“配慮”という姿勢がすべてなんですね。


河村純子さん

相手の立場で考える“気働き”が必要ですけど、
これには見える気働きと見えない気働きがあると私は思います。
人間は他者に認めてほしいので、
ついこれみよがしに見える気働きをしがちですけど、
ほんまの気働きとは、人が見てはらへんでもできている、
やっていることやないかと思います。

そやけど、私も含めて、なかなかできひんことですねえ。


ぼく

書生は何年くらい続けるものですか?

 

河村純子さん

例えば京都では毎年1回、「研修会」という会があり、
それに5回、出んとあきません。
ですから、最低でも書生など修行は5年続きます。
でも芸の道は一生が精進ですから、
何年で終わり、なんていうもんと違いますね。


ぼく

通いの書生さんも、先生からいちおう書生修了?みたいな
お許しがいただけるまで通い続けるわけですか。


河村純子さん

お能の世界には「お披(おひらき)」という節目があります。
能楽師として、「乱(みだれ)」を舞い、次に「石橋(しゃっきょう)」「道成寺」と、
まあ、ランクアップさせていただく時に舞わせていただける曲があるんです。
この曲を舞わせてもらえると、一つ上にあがれるみたいな。
その舞台は能楽師にとってビッグイベントです。
いわゆる免状のようなお許しをいただく意味で、
特に「乱」「石橋」は、能楽師が独立をお許しいただける時に
舞わせてもらえることが多い曲目です。
かなり年数を重ねていくと、“老女もの”という
「姥捨(おばすて)」「卒塔婆小町(そとばこまち)」などを舞うお許しをいただけます。
書生修了というより、
お能の世界では、お許しによって舞わせていただける曲目で
認めていただけたり、さらに精進を重ねていくものなんです。

 

ぼく

ああ、自分はついにこの曲が舞えるようになったのか、
とか感慨深くなるということですか。
ところで能楽師の人はどんな暮らしなんですか。

 

河村純子さん

1年の過ごし方で言えば、各家によっても違うと思いますが、
観世流のうちの家では、まず元旦は夜明けと共に下鴨神社に向かいます。
境内に舞台があり、そこで奉納を行うのです。
その後、平安神宮でも屋外で謡初めがあり、観世会館でも行われます。
以前はその後にホテルでも奉納があったので、
書生の息子は大晦日の晩から準備などでほとんど寝ずに過ごしていました。
(現在、ホテルでの奉納はありません)
年末はそういった奉納の準備や、日ごろお世話になっている観世会館、

自分のところの舞台、奉納先の神社の掃除などとにかく忙しい時期です。


ぼく

年末から元旦にかけては大変なんですね。


河村純子さん

お雑煮とか食べてお腹を温めておかんとあかんので、
私も4時には起きて準備などします。
お正月は各会や社中の方々から届いた鏡餅を玄関に多いときは20個ほど飾ることも。
それらは新年会などの時に、おぜんざいなどにしてみんなでいただきますけ。


ぼく

能舞台のお正月の飾りってあるんですか?

 

河村純子さん

能舞台には「翁飾り」をします。
しめ縄を舞台の柱から柱に四方張って、
中央には神棚をしつらえ、翁烏帽子、盛り塩などを飾ります。


ぼく

翁烏帽子を飾るのは?


河村純子さん

「翁」という曲は祝福や祈りがテーマ。
呪文のような文句もたくさん出てくる曲です。
舞いには稲を踏みしめるなど呪術的な要素もあって、
能楽師にとって翁は能のルーツのような特別なものがあります。
また五穀豊穣の意味もあるので、お正月には翁飾りをします。


ぼく

春は?

 

河村純子さん

3月から5月にかけては能楽師の“能繁期”って冗談を言うほど
お能の会がとても多い時期なんです。

夏には屋外での薪能なども増えてきます。


ぼく

かがり火のもとで舞うお能は幽玄という言葉がぴったりでしょうね。


河村純子さん

それから夏は多くの能楽師の家で「虫干し」をしはります。
うちはお盆の3日間、蔵の中から面や装束、小道具などもすべて出してきて、
能舞台に干すんです。
その間、蔵も空になって掃除できます。
舞台の柱に何本もロープをわたして、そこに装束を干すんです。
蜘蛛の糸状になったところに、色とりどりの装束を掛けていきます。
なかなか壮観です。


ぼく

う〜ん、その風景を見てみたい。


河村純子さん

現代では冷房が入れられますけど、
昔はそんなものはなかったので干すにも時間かかりました。
そうそう、能舞台に空調設備がない時代は、夏の浴衣会の時なんて
舞台下に氷柱を何本も立てて涼をとってはりました。
観る人も暑いですけど、舞う人など、舞台上の人たちはそれ以上に暑いですから。


ぼく

風流だけど、暑そう。


河村純子さん

9月後半から11月にかけて、秋もお能の会は多くて、またまた能繁期。
そして年末は正月のための準備に。そんな1年です。

ところで能舞台の床って、何で拭いてると思わはります?


ぼく

和風に考えて茶殻とか?


河村純子さん

視点はええですね。
実は「おから」で拭くんです。
日本手ぬぐいを袋状にしてそこにおからを入れ、
ギュッと絞ると汁が出るぐらいの状態で床を拭くと、
それはそれはピカピカになります。
拭いて間なしは、滑りすぎて恐いほど。


ぼく

では河村さんが14年続けておられる「能楽おもしろ講座」の話をお願いします。

この講座を始めるにあたり、心がけられたことは?


河村純子さん

修学旅行生のほとんどが、自ら希望してここへ来るのではなく、
学校から“連れて来られた”という思いの子ばかりでしょう。
入ってきた時の顔つきは「退屈だなあ」「面倒だなあ」が出ています。
そういう子たちを、日本の伝統文化に少しだけ
意識を向けてくれることにつなげていくにはどうしたらいいか。
試行錯誤しながら、
今どきの子がちょっと気を向けてくれるように、
視覚的にわかりやすくて、動きの多い曲目も選ぶようにしました。
当初は「田村」という坂上田村麻呂を主人公にした曲目を紹介していたのですが。。。


ぼく

今はされていない。


河村純子さん

最近の学生さんは田村麻呂をほとんど知らはらへんのです。
学校でも習わへんのですって。
そやから、牛若丸の義経ならわかるかなと、そういうものを選んでいます。


ぼく

説明にも工夫されてるでしょうね。


河村純子さん

わかりやすい言葉、表現はもちろんですけど、
600年前の演劇を、今の子たちの目線で伝えないと
結局、わからへんままでしょう。
だから私なりの工夫で、
世阿弥は元祖ジャニーズ系とか、

学生たちに馴染みやすい喩えを使うようにしています。


ぼく

確かにイメージしやすいです。


河村純子さん

うちの能舞台に来て、
退屈してお能を観ました、で帰ってほしくないだけです。
そうしたら、旅行後、鼓を習いに行ったという先生や生徒の話や、
文化祭で“た〜か〜さ〜ご〜や〜”って、あの「高砂」を発表したという学校、 音楽の授業で謡を取り入れましたという話など、聞くようになりました。


その場限りではなく、帰ってから伝統文化を深く掘り下げてくださったことに、ものすごくうれしいですね。


ぼく

外国人が受講者の時はどうですか?


河村純子さん

外国の方にはまず文化の違いを説明します。
どうして舞台に松が描かれているか、には
クリスマスにサンタが煙突を目指して入ってくるのと一緒で、
日本は松があるところに神様が来られる、お迎えのためです、とかね。
韓国では仮面をつけると憑依されるという考えがあるので、

日本のお能の面にはそんな考え方はありません、とか。


ぼく

相手の国の文化も知っていないといけませんね。


河村純子さん

そこが一番大事なことです。
どんなことでも、“相手を知る”ことは大切なことです。
国ごとに文化は異なりますから、その文化を知ってこそ、
自分の国のことも伝えられるというもんです。


ぼく

日本の文化について外国の人に聞かれたら、
ぼくはうまく説明する自信がありません。


河村純子さん

講座を受講した子たちの感想文を読んでいると、
「日本人でよかった」「こんな文化があることを誇りたい」
「海外に伝えたい」という声がすごく多いんです。


ぼく

お能を観ることで日本文化を改めて体現したんですね。


河村純子さん

入って来た時は、だらっとしてる子が多いんやけど、
講座が終わりますという挨拶をする際、
ごそごそと自然に姿勢を正して正座でおじぎをしてくれます。
先生に言われるわけでもなく、どこの学校の子でも。
あれはほんまに不思議な瞬間です。


ぼく

お能の気迫から、礼儀礼節の心が通じたんでしょうね。
では、河村さんがお能を初めて観る人に伝えたいことをお願いします。


河村純子さん

最近は、自分はダメな人間だと自信を失っている子が多いようですが、
人間には可能性がいっぱいあるということを、
お能やこの講座を通じて知ってもらえたらと思います。
特に若い子は修学旅行でここに来なかったらお能なんて一生観ないでしょう。
でも将来、留学やビジネスで外国人と接した時、
自分の国の文化で、昔、観たお能の経験を話すことで、
仲良くなったり、仕事の緊張感がほぐせたりするかもしれないでしょ。
文化を何か一つ語れるきっかけがあると、誇りと自信へつながるのでは。

グローバル化社会に必要なことだとも思います。


ぼく

それはつまり、この記事を読んでくれた人にも言えるわけですよね。
このサイトを訪れて、
お能ってちょっと面白いかも、と思ってもらえたらうれしいなぁ〜。


河村純子さん

絵画などは作者が亡くなっても100年後の人も見られます。
でも舞台は生です。
その時のお客さんが面白いと思わなければ廃れてしまいます。
お能は時代の変革にもまれながらも、600年も続いてきたのです。
それだけ素晴らしい魅力があるんやと思いませんか。
外国の文化に触れることも大切やけど、
まずは自分の国の素晴らしい伝統文化を知ることは、
“自分”を知ることにもつながりますよ。


ぼく

なんか元気が出てきました!
さあ、ぼくもお能を観に行ってきます!
長い間、ありがとうございました。


 

 

おわり

河村純子プロフィール